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2015年5月28日木曜日

「住宅供与を打ち切らないで!」お母さんたちの悲痛な声を聞いて!

517日、「自主避難 住宅提供 終了へ」という見出しで、福島県が調整に入っているという報道がありました。
 521日には「自主避難 打ち切り案 自治体に意見求める」という報道もあり、福島県内の市町村と県の避難者支援課が協議していることも明らかになっています。

 それに対して、避難を続けたいと願う方たちは、大きな不安を抱えて正式発表を待っています。そして現在、さまざまな団体が署名活動を行い、抗議の声もあがっています。

 この逼迫(ひっぱく)した状況に対して、

 「そろそろ自立していいのではないか」

 という冷たい声が投げかけられます。
 
 しかし、この4年という避難生活で、うまく生活再建できた方もいれば、一方で、貯金を切り崩しつづけながら、ぎりぎりの二重生活を続けてきた方もいるのです。

 そもそも、東京電力からのごくわずかな定額賠償以外、区域外避難者には賠償がありません。母子で避難している場合は、二重生活の費用も重くのしかかり、「家を売ろうか」と考える方もいます。住宅供与だけが、唯一の経済支援だったのです。

 働こうと思っても、避難先の保育園がいっぱいで働けない方もいれば、精神的に追い詰められてしまって日々の生活でせいいっぱいという方もいます。

 「孤独な避難生活がつらくて、子どもと一緒に死のうと思った」

とすら、打ち明けてくださる方がいるなか、個々の状況も見ずに言い放たれる「自立」という言葉。そして、そういった方を、事実上、切り捨てる今回の「自主避難 住宅提供終了へ」の報道。ようやく慣れた暮らしを再び壊すだけではなく、選択肢のない方にとっては「強制帰還」を意味します。

「私たちはチェスの駒じゃない」

北海道に中通りから母子避難した方の言葉です。自分の意思にかかわらず、「2年後に出て行け」と言われる。そんなことが、ほんとうにあっていいのでしょうか。

以下のコメントは、区域外避難をしているお母さんが、子どもを寝かせたあとに、一文字一文字、携帯やパソコンで打って送ってくださったものです。

「原発事故がなかったら、今頃、何をしていたかな・・・」

翻弄(ほんろう)されつづけた避難生活を思い返し、そう口にする方たちを、これ以上、追いつめないでほしいのです。



(文責・吉田千亜)


~~~~~~

住宅供与を打ち切らないで!!
お母さんたちから寄せられた声

内閣総理大臣 安倍晋三さま
福島県知事 内堀 雅雄さま
前略
福島県郡山市から大阪市に2児を連れて母子避難を4年間敢行しつづけている森松明希子と申します。
放射線被ばくからまぬがれ健康を享受する権利は、人の命や健康にかかわる最もたいせつな基本的人権にほかなりません。誰にでも等しく認められなければいけないと、私は思うのです。
なぜなら、少しも被ばくをしたくないと思うのは人として当然のことであり、誰もが平等に認められるべきことだと思うからです。
また、これから先、将来のある子どもたちに、健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは、親として当然の気持ちであり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。
そこには、一点のくもりもなく、放射線被ばくの恐怖、健康不安があってはならないと思うのです。
たまたま県外に親戚・縁者・支援者のつながりがあった人だけが被ばくをまぬがれることができる、とか経済力はじめ運良く様々な条件に恵まれた人たちだけが被ばくから遠ざかることができた、というようなことでほんとうによいのでしょうか?
今、次々となされる施策、たとえば支援住宅打ち切り政策(帰還支援のみにだけは手厚い保護)により、幼い子どもの被ばくを少しでも避けつづけていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということをご承知のうえでの措置なのでしょうか?
そして、それがほんとうに平等でフェアな施策だと言えるのでしょうか?
何よりも、それはほんとうに正しいことなのでしょうか?
そもそも、避難するという選択肢を取り、安心して避難を続けるという道筋が立てられる制度もなく、避難したくてもできない世帯があることを福島県や国はわかったうえでのこれまでのこの4年間のご対応なのでしょうか。
もしもご存じないのでしたら、それは、「声なき声」、生活者の視点、ふつうの暮らしをしている人々の思いや声を聞きもらしていることにほかならず、たいへんな無礼を承知のうえで申しあげますが、為政者としては致命的であると言っても過言でないと思うのです。
『原発子ども被災者支援法』という法律はあるのにずっと棚ざらしの現状・・・。
法律があっても、実際の被災者は何ら救済されないというこの現実・・・。
私は、福島にとどまり日々放射線と向き合う暮らしを余儀なくされていらっしゃる方々の選択をとやかく申しあげたことは一度もありません。むしろ、子どもを育てる同じ親としてのお立場の方々を思うにつけ、心中、心よりお察し申しあげるしだいです。
一方で、避難という選択をした私たちもまた、まぎれも無く福島県民であることに変わりありません。
遠く離れた土地に幼子と避難をしていたとしても、福島が、3.11以前の何の健康被害のリスクも不安もない状態に戻りさえするのなら、すなわち、3.11前には存在しなかった放射線がなくなり3.11前の福島でありさえするのなら、今すぐにでも家族そろって福島での生活を再開したいと心から願っているのです。
そう願いつづけて4年の歳月が流れました。
前県知事の佐藤雄平氏にもお手紙を書き、母子避難手記をお送りし、同様の趣旨のお願いを申し伝えましたが、避難をしている福島県民の「声」は届いているのでしょうか。
県政を引き継がれた内堀知事におかれましても、どうか避難という選択をした者もまた県民の一人として捨て置くことなく、人の生命・健康にかかわる最もたいせつな基本的人権を尊重していただけますよう、避難民にもまた、あたたかな支援・具体的施策の継続、実施をお願いしたく存じます。
原子力災害がひとたび起きたときに、これまでのご対応が通常の手法とされてしまうことで計り知れない国民の権利が将来にわたり侵害されることになると私は危惧(きぐ)するのです。
人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?
国民には、等しく、みずからの命を守り健康を享受する権利があるはずです。
生命や健康を守る行為が原則であり、その原則的行為を選択した人に対して、どうか最低限度の制度をもって保障してください。
そして、不幸にも原子力災害を経験してしまった県民(国民)として、次の世代に対して恥ずかしくないアクションを県政、県民として手を取り合って進めていただきたいと思うのです。
同様のことが、国政においても言えると思います。
そのためには、一部の経済的利害関係の発生する人々の声だけでなく、人として当たり前のことを申しあげているだけにすぎない一母親、一生活者、一県民、一国民の真摯(しんし)な声にどうか耳を傾けてくださいますよう、心からお願い申しあげます。
長文かつ乱文、たいへん失礼いたしました。
福島の復興を切に願う一県民として、また、東日本大震災からの真の復興を心から願う一国民として、筆を取らせていだだきました。
草々
2015526
福島県郡山市→大阪市 森松明希子


手をカタカタと震わせながら、町長ホームページに懇願、住宅支援を打ち切らないよう一緒に戦ってくださいと。ムダな抵抗なのかな・・・。
そのまま福島県避難者支援課生活課に電話。声も手も震えている。何を聞いても「協議中だから」と明確な答えはない。
今まで住宅支援ありがたかった。だからこそ自立しようと頑張っている、今ここで住宅支援打ち切られたら精神的にも肉体的にも振り出しに戻って不安になる。福島県は、私たちを見捨てるのですか?自主避難、なんの支援もない中の唯一の支援で助かっていたんです。どうか私たちが自身が、もう大丈夫です、今までありがとうと言えるまで待ってもらえないでしょうか。こんな電話があった事を必ず協議で伝えてください、お願いします、と言い電話を切った。今の私にできることは、これしかないのか……。
自立できるよう頑張っている最中です。今ここで住宅支援を打ち切られたら、精神的にも肉体的にもまた振り出しに戻るようでつらいのです。

2015526日 
福島県→埼玉県 河井加緒理



5月26日付の毎日新聞紙面に書いてありました。
「避難者漂流」
原発事故で被ばくを恐れ、避難指示がないまま避難を決意した私たちはその時点で、すでに漂流者でした。支援、補償、賠償、何も先が見えないまま、それでも我が子たちの将来を考えたとき、少しでもいらぬ被ばくを避けたい、その一心でマイホームも、仕事も、友人知人も、家族との時間も手放し決心した避難。
長引く二重生活に、家計は苦しくなるばかりです。
先が見えない不安から、きちんとした仕事に就くこともできず1年ごとにまるで「死刑執行」が延期されるかのように、延長が決まる住宅支援を頼みに4年間どうにかやってきました。
まだ、子どもたちが独立するには時間がかかります。二重生活の負担がこれ以上増えたら、子どもとともに路頭に迷うしかなくなります。
原発事故を想定していないような「災害救助法」で原発事故の被害者を救済しようとしているのが、まずはムリなことなのです。

原発事故は 一瞬で人の人生、生活を根本からひっくり返します。もう二度と元には戻らない状態にします。時間がたてば復興が可能な自然災害とはわけが違います。原発事故は人災なのです。なのに、誰ひとり裁かれない。責任を取らない。まるで、放射能を怖がって逃げる人々のほうが悪いかのように言われてしまう。こんな状態で、どうやって「起きたことを受け入れて前へ向かって進む」ことができるのでしょうか。

新しい場所でやり直せばいいじゃないかと、人は簡単に言いますが、時間がたてば誰でもみんな同じように立ち直れるなんてありえません。抱えている事情が複雑すぎるのです。健康への不安。帰還への躊躇(ちゅうちょ)。未来が描けないまま時間だけが過ぎていきます。家族の理解は日増しに薄れ、軋轢(あつれき)に苦しむようになっていきます。

「先進国」とかいわれてる国の中で、「漂流」ですか。そんなこと、あってはいけないと思います。
自主避難者切り捨てが、現実に起きたらそれはイコール、多くの場合、子どもたちの生活や未来も切り捨ててよしと、国が判断したも同じことです。
日本はそういう国ですか?
日本の政府は、福島県は そういう考えなのですか?

どの国でも 国民は、とくに子どもたちは、国の宝物のはず。その国民を、子どもたちを被ばくさせておいて放り出すなど、言語道断です。自主避難者を含めた原発事故被害者への、住宅無償提供支援策のさらなる複数年延長を切望します。

2015526
白河市→札幌市 都築啓子




私は震災の3日後、2011314日から4年間、自主避難を続けています。
夫は家のローン代と生計維持のため、郡山に残りました。
避難してから、広島と東京で住居は5回、幼稚園も2度移りました。
今の民間借り上げ住宅におちつくまで、住む場所は全て自力で探しました。
避難当時4歳になったばかりの子どもはPTSDと言われ、おねしょもいまだにしています。
母親の私も、極度のストレスから突発性難聴や不眠になるなど、親子ともさまざまな症状に苦しみました。
母子避難から2年後、私は逼迫(ひっぱく)した家計をなんとかするため、まだ情緒がおちつかない子どもをあちこちに預けながら働きに出ました。
週末だけ夫が会いに来る生活は約4年続きましたが、私が働き無我夢中の生活を送っているなか、夫婦間は修復できないほど気持ちがすれ違い、昨年末に離婚しました。
大人に振り回され、くり返し訪れる困難に押しつぶされそうになりながらも、息子は必死で頑張っていたのだと思います。
情緒はさらに不安定となりながら、「死にたい」と口にする私に、「生きていればいいことがあるよ!死んだら終わり!忘れたの!?勇気!元気!」と好きな絵を描いて励ましてくれました。
ですが私は、子どもにこんな事を言わせるなんてと、さらにつらい気持ちになりました。
正直、避難してからはつらいこと、たいへんなことばかりでした。
いつ終わるやもしれない住宅支援のことを考えると家具も置けず、おちつかない生活に、突然むなしさばかりが込みあげ、死にたくなることも数えきれないほどありました。
今は、子どもにムリをさせながら、生活のためにフルで遠くまで働きに出なくてはならない毎日です。
子どもに震災前のような普通の生活をさせてあげたい。
私も普通に育児がしたい。
もう、余計な心配をせずに楽になりたい。
ずっと願っていることは、ただそれだけです。
原発事故で、家も、家族も、平和な生活も、すべて奪われてしまいました。
そしてまた、やっと築きはじめた居場所が、住宅支援の打ち切りという形で奪われようとしています。
新しい環境への適応が苦手な息子にとって、たび重なる転居や転園は、どんなにか苦しかったことだろうと思います。
また振り出しに戻るなんて事があれば、息子の心は一体どうなってしまうでしょう。。
私たちは、あの原発事故で生死の選択を急に迫られ、その負担をみずから強いてまでも避難せざるを得ませんでした。
このおちつかない状況のままでもなお、ひたすら我慢しつづけながら避難生活を継続せざるを得ない理由は、百人百様、とても深く複雑です。
この苦しい胸の内を、どうかみなさんに想像していただきたいと心から願います。

2015526
郡山市東京都 匿名希望



 
私は、7歳の女の子と3歳の子どのたちの母親です。
 
原発事故があってから、いろいろな経緯を経て、今、東京都中野区に避難しています。
地震だけであったら、大好きな福島から避難していません。
大好きな福島だからこそ、住民票も移動していません。
福島では、山も海も空気も、子育てをする環境にはなくてはならないものでした。
 
汚染水が流れている、福島の海で安心して、子どもたちを海にいれられますか!?
あなたの家族を、子どもを、孫を
 
避難している先で子どもたちは、学校に通っています。住宅がなくなるとの理由で、子どもを転校させて、納得できますか。
私たちは、一日本国民として、子どもを守らなくてはいけない。子どもを守る権利もあるわけです。
風評被害ですか。
過剰反応ですか。
病気になってから、ごめんなさいでは遅いのです。
 
子どもは、たび重なる転園で、心を傷つけています。大好きなお父さんと住めなくても、我慢しています。勝手にやっていることではありません。子どもの健康を守る為にしているのです。
 
原発事故をなかったことにしないでください。
きれいな福島を返してください。
子どもをもう傷つけるのはやめてください。子どもの未来に責任を持ってください。
どうか…ほんとうに福島が安全になってから、返してください。
 
今、私たちから住宅をとらないでください。新しい環境に慣れるのに、どれほどたいへんだったか…。
子どもの心を読みとって下さい。
子どもの涙や悲しい顔は、もう見たくありません。
 
2015526
いわき市中野区 匿名希望




必死に、国や県にも抗議してます。福島に自宅があり、打ち切りになれば、県外で暮らすのは難しくなります。福島に帰っても、仕事はないです。打ち切りになるけれど、仕事がない。福島の決定は、矛盾だらけです。私達は、借り上げが打ち切りになれば、苛酷になものになります。今から、考えます。いつかは、打ち切りになるのは、わかりますが、突然で、しかも、短いです。皆さんたいへんな状況下と思います。よろしくお願いいたします!
支援は、住宅だけでした。あとは自費です。退職金を含め、何とか4年仕事しながら乗り越えてましたが、住宅ローンもあり、二重は不可能です。借り上げは、避難できる唯一の方法でした。もう数年続いてほしいなと願います。そのなか県外移住に向けて、頑張れたら・・・。時間がほしいです。

2015526
福島県→埼玉県 匿名希望




いわき市出身、現在、東京都江戸川区に母子避難中です。
震災後、半年間で6か所移動しながらやっと今の住宅におちつきました。
ようやく地域にも慣れ、保育園でお友達ができたり、私もママ友ができたりと4年たってやっと日常の生活が戻りつつあります。
そんななか、住宅支援打ち切りの報道がありました。
お願いですから、私たちから住まいを奪わないでください。

2015526
いわき市→江戸川区 匿名希望



現在の心境ですが、朝日新聞の記事をみて、また最近不眠症になりました。
あ~、やっと生活がおちついてきて、子ども達の情緒不安定からの爪かみもなくなり、
学校や都会の環境にもやっと慣れ、学校の友達もできました 。震災後に離婚したので、今住居がなくなったらと思うと、私自身、年齢的にもこの先の生活が不安でたまりません。
自主避難者のママ達と話をしたとき、東京に避難してから「子どもと死のうと思った」、他の何人かのママが言いました。えっ、私だけじゃないんだ、みんな同じ思いで苦しんできたんだ。
自分だけじゃないんだ、と心強く思いました。
子どもをかかえての震災のストレスと避難生活のストレスはまだ抱えてます。
爆発がなかったら、避難なんかしてません、大好きな海、山があるいわきにいたかった。

2015526
いわき市→江東区 匿名希望




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【関連情報】

●日本弁護士連合会


●「きびたきの会(東京都)」参議院議員会館にて、復興庁・内閣府・福島県・東京都との懇談会
 5月29日 10時30分~懇談会/11時50分~記者会見

●「自主避難者への住宅支援延長を望む」記者会見 北海道庁道政記者クラブ
 5月29日 14時~



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