この講演のまとめは、2012年8月19日(日)、東京都武蔵野市武蔵野公会堂で行われた、武藤類子さん講演会『福島の女たちの想い ~未来につなげる たたかいの今~』より書き起こし、編集を加えたものです。福島原発告訴団・関東と、武藤類子さんの許可を得ています。
■原発事故で失われた、たくさんのいのち
福島県三春町に住んでおります、武藤類子と申します。昨年3月の原発震災から1年と5ヶ月がたちました。(2012年8月当時)
みなさまには、ほんとうにたくさんのご支援をいただきました。ありがとうございます。
私は、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故をきっかけに、はじめて原発の危険性を知りました。それまでは原発に関心もなく、現状もまったく知りませんでしたので、大慌てで勉強をしました。
チェルノブイリ原子力発電所の事故後、小さなグループをつくって勉強会や映画会、写真展なども開催してきました。そういう運動のなかで、多少は原発の危険性についてもわかっていたつもりです。
福島第一原子力発電所では、2010年にプルサーマル運転を始めてしまいました。プルサーマルというのは、通常使用されるウラン235の代わりに、原子炉の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを混ぜてつくったMOX燃料を使用して発電する方法です。
福島第一原子力発電所では、2010年にプルサーマル運転を始めてしまいました。プルサーマルというのは、通常使用されるウラン235の代わりに、原子炉の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを混ぜてつくったMOX燃料を使用して発電する方法です。
今回爆発した福島第一原子力発電所3号機はプルサーマル運転でした。プルサーマル運転が始まったときには、「これが事故を起こしたらどんなことになるのか……」と危惧していましたが、実際に事故が起こってみると、想像を絶するほどのものすごい事故になってしまいました。
今年の夏に開かれた「エネルギー環境意見聴取会」で、ある電力会社の方が、「今回の原子力発電所の事故で亡くなった方はいない」とおっしゃっていたそうですが、そんなことはありません。宮城県や岩手県と同じで、福島県でも津波でたくさんの方が亡くなられましたが、津波に流されても生存していた方がいらっしゃったはずなのです。しかし福島県では、3月12日に福島第一原子力発電所が爆発してしまい、みんな避難しなくてはならなくなったため、捜索に出ることができませんでした。その時点では、まだ生存し、波間に漂いながらも生存されていた方がいたのではないかと思っています。また、みんなが避難したのを知らないで取り残されてしまった方もおられました。取り残された方は、何日か後に餓死した状態で発見されたと新聞に載っていました。
双葉病院、双葉厚生病院にも入院患者がたくさんおられ、ヘリコプター や救急車、自動車などで避難を余儀なくされるなか、避難の途中で亡くなられた方もおられました。避難所が決まらず、あちこちの避難所を転々とし、そのあげく、やっと入れる避難所が見つかったと思ったら、今度は寒い場所で長い時間待ってスクリーニング検査をし、放射線が高いとさらに除染をして、また検査をして、夜中の2時ごろになってようやく避難所のなかに入ることができたという方もいました。
とても寒い時期で、天候が悪くなって雪が降りはじめ、吹雪になりました。やっとたどり着いた避難所には十分な寝具もなく、床の上に横になっている方もおられました。そんな悪条件のなかですので、避難所で亡くなった方もおられます。160人の方がそのような亡くなり方をされているそうです。
また今回の原子力発電所の事故によって仕事を奪われ、そして家を失って、自らいのちを絶たれる方もおられるのです。自殺者は6人と言われていますが、それは氷山の一角で、私のお寺では檀家だけで昨年の間に5人もの方が自らいのちを落とされています。絶望のなかで 亡くなっていった方が多数おられるのです。
いのちを落としたのは人間だけではありません。みなさんも、警戒区域のなかに残された犬や猫をご覧になったことがあると思います。飼っていた家畜、牛や豚はつながれたまま餓死していきました。餓死しては切ないからと放していった家畜は、野良牛や野良豚になっていました。やっと生き残った動物たちは集められて殺処分になりました。そういう状況があるにもかかわらず、「亡くなった方がいない」なんてとんでもないことです。こうしてたくさんのいのちが避難もできずに失われていった。大変悲惨な事故だったと思います。
いのちを落としたのは人間だけではありません。みなさんも、警戒区域のなかに残された犬や猫をご覧になったことがあると思います。飼っていた家畜、牛や豚はつながれたまま餓死していきました。餓死しては切ないからと放していった家畜は、野良牛や野良豚になっていました。やっと生き残った動物たちは集められて殺処分になりました。そういう状況があるにもかかわらず、「亡くなった方がいない」なんてとんでもないことです。こうしてたくさんのいのちが避難もできずに失われていった。大変悲惨な事故だったと思います。
■日本政府、3つの大罪
日本政府は、この事故に対 して3つのことをしました。
ひとつめは、「情報隠し」です。スピーディの情報、メルトダウンの情報、米軍がつかんでいた放射線飛散状況……。さまざまなデータを隠しました。
ふたつめには、「事故の矮小化」を行いました。つまり、事故を小さく見せるために安全キャンペーンをはったのです。
ひとつめは、「情報隠し」です。スピーディの情報、メルトダウンの情報、米軍がつかんでいた放射線飛散状況……。さまざまなデータを隠しました。
ふたつめには、「事故の矮小化」を行いました。つまり、事故を小さく見せるために安全キャンペーンをはったのです。
昨年の3月下旬ごろ、長崎大学の山下俊一氏をはじめとする「放射線リスク健康管理アドバイザー」と呼ばれる方々が福島県入りし、いわき市を皮切りに、「100ミリシーベルト以下の被ばくでは、健康リスクのデータはない」、「大丈夫だ大丈夫だ」とキャンペーンをしました。講演会だけではなく、連日ラジオやテレビにも出演して、安全を語ったのです。
私は5月3日に、二本松市で行われた山下俊一氏の講演会に参加しました。二本松市の人たちは彼にたくさん質問をしました。「二本松市の砂場で子どもを遊ばせることができるのか」など、さまざまな質問をして、山下氏の考えに疑問を呈したわけです。すると驚いたことに、最終的に彼は、「私は日本人だ。日本の国が決めたことに従うのだ」とおっしゃったのです。
私はほんとうにびっくりしました。そういうことを言う方が、今、福島県立医科大学の副学長に就任し、福島県民健康管理調査のトップとなって健康調査をすすめているという現状です。
そしてみっつめに、国は年間の被ばく限度量を引き上げました。法律では、一般の人が浴びてよい放射線量は、年間1ミリシーベルトと決められていたのに、それを突然20ミリシーベルトまで引き上げたのです。福島県の父母たちは、びっくりして文部科学省に抗議しに行きました。なんとか事故以前の水準に戻して欲しいということを訴えたのです。その結果、「年間1ミリシーベルトを目指していく」ということにはなりましたが、残念ながらこの年間20ミリシーベルトは撤回されておりません。
そしてみっつめに、国は年間の被ばく限度量を引き上げました。法律では、一般の人が浴びてよい放射線量は、年間1ミリシーベルトと決められていたのに、それを突然20ミリシーベルトまで引き上げたのです。福島県の父母たちは、びっくりして文部科学省に抗議しに行きました。なんとか事故以前の水準に戻して欲しいということを訴えたのです。その結果、「年間1ミリシーベルトを目指していく」ということにはなりましたが、残念ながらこの年間20ミリシーベルトは撤回されておりません。
震災直後、ライフラインが断たれ、水も出ず電気も止まり、給水車がきました。給水車に家族総出で並び、そして長蛇の列で買い物をし、公衆電話にも並びました。もちろん、子どももいっしょにです。ちょうどそのとき放射能が降っていました。みんな、それを知らされずに無用な被ばくをさせられたわけです。知らされなかったために、住んでいたところよりも線量の高い場所に避難してしまった方もいました。
きちんとSPEEDIの情報が公開されていれば、無用な被ばくは避けられたし、もっと早い段階で空間線量の低いところに避難することができたのではないでしょうか。
また3月は卒業式、春休み、入学式の季節ですが、教育委員会が統一した見解を出すことができずにいたために、卒業式や入学式開催の判断は学校に一任されました。せっかく避難していたのに、卒業式が行われることになったために、子どもを連れて帰ってこられた方もいました。
また、障害を持った方々が避難することも困難でした。私の友人で、勇気を出して、介助者を連れて避難した方がいたのですが、ヘルパーの時間の確保や、さまざまな苦労をしながらの避難でした。とくに知的障害を持っている方々は、環境が変わることによって、とても不安定になります。そのため、なかなか避難できない現実がありました。
当初、避難区域は狭い範囲でしたが、徐々に拡大されることになりました。しかし、30キロのところで線引きされてしまいました。30キロ圏外であっても、とても放射線量の高い場所があります。避難区域に指定されなかった地域では、たくさんの方が「子どもを守りたい」「ここにはいられないんだ」 という思いで、自主避難なさっています。でもその方々には賠償はありません。避難先では住宅の無料提供をしてくださっているところもありますが、支援のないところもあります。生活の保障というものがないのです。家のローンも残っている、生活費をどうにか捻出していかなければならないという状況のなかで、福島には父親が残って仕事を続け、母子だけが遠くに避難せざるを得ないという現実が生まれています。たくさんの家族がバラバラに暮らさなくてはならず、その状態が今も続いています。二重生活を余儀なくされた人たちはだんだん生活が大変になり、仕方なく、福島に戻った家族もあります。ひとり一人がたくさんの困難を抱えているのです。ほんとうにこの国、そして東京電力はいったいなんてことをしてくれたのでしょうか――。そのことを考えると愕然とし、そしてがっかりし、また被害を受けた者たちは傷ついていくのです。
■除線に疑問
事故から一年たったころに、政府は「除染」と言いはじめました。そして、除染に対してたくさんの税金を投入し、現在、除染が推進されています。しかし、いたるところにホットスポットがある状況のなか、除染は果たしてほんとうに効果があるものなのだろうか、と疑問に思いはじめている方も多いのです。
原発から20キロぐらいの場所に、川内村という人口3000人くらいの小さな村があります。川内村は、早々に帰還宣言を出し、全戸除染をして、村人をここに帰すということを決めました。私は、8月初旬に川内村を訪れました。阿武隈山系の山道を行きますと、突然除染された家が何軒か見えてきます。家のまわりの木をすべて切り、土を全部新しいものに入れ替えて、草も生えない砂地のように整地されていました。しかし、持っていた線量計で空間の射線量を測ると1.4マイクロシーベルト毎時ありました。
道路の反対側には、除線された家から出た放射性の廃棄物、木を粉砕したものや土が積まれていました。線量計を近づけると4マイクロシーベルト毎時くらいありました。
環境省は最近、森林の除染はしなくてもよいということを発表したのですが、おそらく「しなくてよい」のではなく、「できない」のだと思います。除染をすると、最初のうちは、少し放射線量が下がります。しかし、時間がたつとまた高くなってくるのです。
山間部などは、雨が降ったら山から放射性物質が流れてくるのでしょう。もちろん、小さなお子さんがいるご家庭では、早急に除染する必要があります。そのため、一生懸命除染をしている方もいらっしゃいますが、町中に点在しているホットスポットの数と、除線してもまた高くなる山村部のことを考えると、いったい除線はどれだけの効果があるかとを疑いはじめています。
川内村の除染事業を請け負っているのは、大手のゼネコンです。いわゆる除染ビジネスで利権を得る人たちがいる一方、実際に現場で除染作業をする人たちは、仕事を失った人々、そして自分の地域で食べ物をつくることができなくなった人々、仮設住宅にいる人々なのです。 つまり、被災者たちが、被ばくをしながら除染作業をしているのです。
除染作業では、一日につき約1万円の日当がもらえるのだそうです。配布されるのは、薄いマスクと布の手袋がひと組、ゴム手袋がひと組。それだけです。
ニュースでは、本格的な防塵服やマスクを身につけて除線している様子が報道されていますが、そんな厳重な格好で除線作業にあたっているのは一部だけです。ほとんどが軽装で、被ばくしながら除染作業をしています。
今、福島県では、「復興して元の福島県に戻ろう」ということが声高に叫ばれるようになってきました。昨年はなかった子どもたちのパレードや、マラソン大会が再開されています。
また、子どもたちの外遊び制限の解除があり、課外授業も始まって、事故などなかったようにどんどん元の福島に戻っています。
先日は、大阪市の子どもたちを福島県伊達市の桃農家に連れて行って、桃の食べ放題をさせるという企画が持ち上がっていましたが、それはあまりにもひどいということで中止になりました。しかし、子どもたちの代わりに大学生を連れて行くということになったのだそうです。
みんな、ほんとうには不安だと思うのです。子どもたちに、これからどれだけの健康被害が出るのだろうと、心配を抱えているはずなのです。
しかし、どんどん元の福島に戻すという、何か見えない大きな力が働いているので、心配すら口にできないような状況になっています。今回の事故は、福島でもっとも風化させられているのではないかと感じています。まるで、おさえてもおさえても手から砂がこぼれ落ちていく、崩れ去ってゆく砂の城のようです。このそれが今の福島なのです。
■日本中のすべての人が、告訴人に
しかし福島県のなかにも、この現状に対して本気で憂いている人たちはたくさんいて、この一年半、たくさんの取り組みがなされてきました。
これからお話しさせていただく「福島原発告訴団」も、そのひとつです。
告訴というのは、検察または警察に対して、「この人はとても悪い人です、この人から私は大変な被害を受けています」「この人をちゃんと調べて犯罪性があったら起訴をして刑事裁判を起こしてください」とお願いをする、これが告訴なんですね。
損害を受けたことをどうにかして欲しいと訴えるのは、ごく当たり前のことです。これは国民が誰でも持っている権利です。
昨年の7月に、作家の広瀬隆さんとルポライターの明石昇二郎さんが東京電力と経済産業省をはじめとする国を告発しました。その本を読んで、「ああ、こういうことができるんだ」と知りました。そして私たちもこれをやろうじゃないかということになったのです。最初は少人数で呼びかけたのですが、今年3月16日に「福島原発告訴団」を結成するに至りました。
そのときは、約100人近くの人がいわき市に集まってくださり、みなさん口々に「この事故によってどんな被害を受けたか」、「どんな思いで暮らしてきたか」、そして「なんとかしたい、黙って泣き寝入りをするわけにはいかない」と、切々と訴えておられました。それから告訴人を募るということが始まりました。
今回の告訴の罪状は、ひとつは業務上過失致死傷です。私たちは、福島だけではなく、厳然とある放射能によって被ばくをしており、今も被ばくさせられ続けています。関東でもたくさんのホットスポットがあります。そのなかで放射性物質からはまだ放射線が放出されており、これが「傷害」にあたると考えたわけです。被ばくによって、病気が引き起こされる可能性はありますが、まだ科学的に証明されたわけではありません。けれども、発病するとかしないにかかわらず、被ばくをしているということ自体、私たちの細胞が傷つけられるわけですから、それが傷害だというふうに考えているのです。
それからもうひとつは公害犯罪法です。有毒物質を外にばらまいた、垂れ流している、それが公害犯罪法に引っかかる部分です。放射能を撒き散らし、今現在も外に出し続けているということで、これに匹敵するのではないかと思います。
それからもうひとつは公害犯罪法です。有毒物質を外にばらまいた、垂れ流している、それが公害犯罪法に引っかかる部分です。放射能を撒き散らし、今現在も外に出し続けているということで、これに匹敵するのではないかと思います。
そしてもうひとつ、新しい罪状としては、「激発物破裂罪」です。今回の爆発により、福島第一原子力発電所の1号機、3号機、4号機は、ものすごい破壊状況になっています。爆発させてしまったというのは、ひとつの罪になるんですね。故意に行った場合は非常に重罪ですが、業務上の過失というものもありまして、それにあたるのではないかと思っています。
もうひとつ、事故の後、被害や被ばくを拡大させてきた人たちがいます。先ほど申し上げた学者の人たち、福島県管理アドバイザーだった専門家たちが「安全キャンペーン」を行わなければ、私たちはもっと警戒をしましたし、無用な被ばくをしなくてすんだのです。そういうことをこの「福島原発告訴団」で訴えていきたいと考えています。
6月11日に第一次の告訴を行い、受理されるかどうか心配でしたが、8月1日に正式に受理されました。これから検察は、東京電力や国に対して捜査に入ると思います。きちんと捜査を して、それから起訴という流れになっていくのですが、徹底した捜査と起訴はこれから私たちが求めていかなければなりません。
一次告訴は終わりましたが、日本中の人が今回の福島第一原子力発電所の事故に対してきちんと追求して、きちんと見極めたいという思いが、どれだけあるかということをこれから証明していかなければならないと思っています。 それで全国の二次告訴を行うことになりました。たくさんの方々が告訴人になって、今回の事故の責任を追及していきたい、求めているんだ、そういう世論が高まっていくことが非常に重要だと思います。たくさんの方の思いによって検察は後押しをされたり、プレッシャーを感じたりすると思います。
ですから検察にきちんと仕事をまっとうしてもらうために、どうしてもこの二次告訴というものが必要なのです。
今、全国に8つの事務局ができています。関東をはじめとして、北海道、東北、中部、甲信越、北陸、そして関西、西日本。
全国からたくさんの人たちが集まって、11月15日に第二次告訴をする予定です。
今回は1万人を超す告訴人が参加してくださることを望んでいます。
今回の事故によってほんとうにたくさんの放射性物質が放出されました。その結果、大地が汚れてしまいました。そして安全な食べ物も入手困難になってきています。原発事故の後始末も長い長い時間をかけてやっていかなければならないのです。仮に原発が全部止まったとしても、人類は大量の放射性廃棄物を管理していかねばなりません、私たちの世代は便利さのなかで原発を許してきました。増殖させてしまいました。しかし、その後始末を若い人たち、子どもたちに押し付けていかなければならない。そうせざるを得ないのです。だから、せめてこの原発の責任がどこにあるのか追求して、間違ったことはやめて、まっとうな道を行きましょうと、道筋をつけるだけでも、今しておかねばなりません。
それが、若い人たちや子どもたちに対する私たち大人の責任ではないかと思っています。
日本中の人々がこの事故によってたくさんのことを考え、感じ、そして傷ついて困難を感じたと思います。ですから私は日本中の人が告訴人として告訴してくださることを望んでいます。 みなさん一人ひとりが、この国を 変えるため、この原子力行政を変えるため、政策を変えるため、この国のあり方を変えるために、告訴をしていただきたいと、心から願っています。
どうかよろしくお願いいたします。
(構成:山田恵里子/編集:和田秀子)
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【福島原発告訴団の告訴宣言】
今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に「福島原発事故の責任を問う」告訴を行いました。事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた 者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。告訴へと一歩踏み出すことはとても勇気のいることでした。人を罪に問うことは、私たち自身の生き方を 問うことでもありました。しかし、この意味は深いと思うのです。
・この国に生きる一人ひとりが大切にされず、誰かの犠牲を強いる社会を問うこと
・事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪をひろげること
・傷つき、絶望のなかにある被害者が力と尊厳を取り戻すこと
それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。
声を出せない人々や生き物たちと共にありながら、世界を変えるのは私たち一人ひとり。決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。
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