今日(2015年5月17日)の朝日新聞で、「自主避難 住宅提供終了へ」という報道がありました。
2016年度で供与を打ち切るというものです。
(引用)
福島県は避難先の住宅の無償提供を2016年度で終える方針を固め、関係市町村と調整に入った。反応を見極めた上で、5月末にも表明する。故郷への帰還を促進したい考えだ。だが、自主避難者からの反発が予想される。
(中略)
被災市町村の一部は「無償提供を続ける限り、帰還が進まない」とし、県に住宅提供の早期打ち切りを水面下で求めている。無償で住める家があることで、避難先での定着が進んでいるという事情がある。
(中略)
例えば、福島第一原発から30キロ圏の広野町では政府の避難指示は出ていないが、約5100人の町民のうち戻ったのは約4割にとどまる。これまで、自主避難者らの団体は「できるだけ長く続けて欲しい」と県に要望し、一部の市町村も配慮を求めている。
これからできることは、何があるのか考えました。
1)「反応を見極めた上で、5月末にも表明」と書かれています。「2016年度住宅提供終了は本当に困る」「困る方がいる」という状況を関係市町村=避難元自治体に伝えませんか。
上記引用の赤字のように、福島県内市町村でも意見が分かれていることがわかります。
一人ひとりの困っている状況を伝え、福島県に対して市町村から『打ち切りは時期尚早である』ということを表明してもらいましょう。
2)1)と同様に、福島県避難者支援課や内閣府(防災)にも「困っている状況」「困る方がいる」ということを伝える。
3)こちらの署名にもご協力を。5月19日午前10時が第一次〆切です。
4)どうか、ママレボにも声をお寄せください。「ママレボ通信」含め、あの手この手、いろいろな方法で、「2016年度の住宅打ち切りでは、路頭に迷う人がでてしまう」ということを、お伝えします。(もちろん、匿名でOKです/当事者の方でも支援者の方でもOKです)
「自主避難」という単語はあたかも「自己責任」である印象を与えます。
でも、原発事故がなければ、放射能汚染がなければ、必要のなかった避難です。
国の勝手な線引きで「自主避難」とされているだけのことです。
賠償のない中での、子育て中の二重生活は、大変です。
そこに、簡単に投げかけられる「自立」や「生活再建」という言葉。
これまで出会った「自主避難」中の方で、誰一人、それを目指していない人なんていませんでした。
思うようにならない中で、唯一の経済支援ともいえる住宅の無償提供だけを頼りに、見ず知らずの土地で
「子どもの被ばくを出来る限り避けたい」
という思いで必死に生きてきたのです。
「ようやく基盤ができてきたこの生活を変えたくない」
「子どもをこれ以上転校させたくない」
「できる限り長く避難生活を続けたい」
「子どもをこれ以上転校させたくない」
「できる限り長く避難生活を続けたい」
――それなのに、たった2年後に、再びどこかへ移動させられるかもしれない、そんなことが、あっていいのでしょうか。
取材で出会った自主避難者は、記者の想像を超える過酷な数年間を送っています。「避難の負担」に「個々の事情」が加算され、状況は千差万別です。
「もう、声をあげることにも、疲れてしまった」
「理不尽さを抱えていても、もう、声をあげてはいけないのではないか、という空気を感じる」
という方もいます。
「もう、声をあげることにも、疲れてしまった」
「理不尽さを抱えていても、もう、声をあげてはいけないのではないか、という空気を感じる」
という方もいます。
住宅の問題は命に関わる問題です。
自主避難者にこれ以上、精神的負担、経済的負担を強いることのないよう、
住宅の供与終了は自主避難者の「命の問題」であることが行政に届くよう、
あきらめずに、繰り返し繰り返し、伝え続けましょう。
住宅の供与終了は自主避難者の「命の問題」であることが行政に届くよう、
あきらめずに、繰り返し繰り返し、伝え続けましょう。
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